作曲家 山田一雄

東京芸術大学の図書館で、没後20年を機に『山田一雄 自筆譜展』がひらかれている。その展示と関連した片山杜秀さんの講演「作曲家 山田一雄 マーラーと日本的なもののはざまで」を聞いてきた。

山田が東京音楽学校に入学した31年の無調的な響きが支配的な歌曲《闘争――短詩》から、マーラーの影響の強い《若者のうたえる歌》(1937)、代表作《交響的木曽》(1939)、《おほむたから》(1944)を経て、戦後直後に撮られた映画『浦島太郎の後裔』(1946)に至るまでの山田作品を、音源とともに一気に語り切る講演。山田が、プリングスハイム経由によるマーラーへの強い傾倒のもと、交響曲第5番をいかに換骨奪胎して《おほむたから》を生んだのか、といった点が、音源とともに示されるので説得力とユーモアに満ちている。最後には、吉永小百合がピアニストの卵を演じる『父と娘の歌』(1965)での山田一雄出演シーン(チャイコフスキー、ピアノ協奏曲)もたっぷりと見せてくれた。
《おほむたから》を、作曲を通してマーラーと日本的なものの接合を試みた到達点として捉えるのではなく、戦後の映画の分野での活動に注目を促していた点は非常に示唆的。『浦島太郎の末裔』での原始的な声とショスタコーヴィッチのアダプテーションとの対比のなかに、土俗的表現のある種の否定を見出しうる可能性を指摘するあたりはさすがである。(映画の音楽なので、それが即作曲家の声、とはならないのは百も承知の上で)

最近の買物。

Vocal Apparitions: The Attraction Of Cinema To Opera (PRINCETON STUDIES IN OPERA)

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Die Gedichte sowie Tage und Taten: in der Textfassung der kritischen Ausgabe der Saemtlichen Werke

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最近、バディウヴァーグナー論を読んでいる。英訳でしか読めないが面白い。哲学の分野でのヴァーグナー論の基本文献といえるアドルノラクー=ラバルトは、ヴァーグナー批判のオチとして必ずシェーンベルクを援用するけど、バディウはあくまでもヴァーグナーに内在しつつその射程を論じている点が新鮮。